第59回大阪府市議会議員研修会、蓮池薫さん「夢と絆」
今日は表題の通り、大阪府市議会議員研修会でした。
大阪府内の市議会議員が万博公園前のホテル阪急エキスポパークに一斉に集まります。
今日は北朝鮮に拉致されていた蓮池薫さんのお話をお聞かせいただきました。
拉致問題は知っているつもりでも当事者の話はとてもリアルでした。
日本もまだ帰ってきていない拉致被害者がいます。家族の気持ちを考えるといたたまれない気持ちになりました。
地方議会で活かせることについては考えていきます。
講演の内容
帰国して18年。
拉致とは、その目的は、北朝鮮での状況についての話。
拉致についての現状と流れ
1970年後半に盛んに行われた。当時はわからなかった。秘密工作機関での拉致だったからわからなかった。工作員が逮捕されて自白して分かった。
96年、13歳の子が拉致されてるという情報(横田めぐみさん)で大きな反響が起きた。
98年、横田しげるさんが実名を出してでも探すんだとなった。
当時蓮池さんは北朝鮮で生活していた。世話をする人は戦々恐々としていた。北朝鮮の新聞にも掲載されていた。新聞が配布されなくなった。
拉致を認めた理由。
お金がなかったから。韓国は日韓基本条約で5億ドル払ったので北朝鮮は利子も含めた1兆円取れると。
もうひとつは911。アメリカ学生テロの責任を北朝鮮にもなすりつけるのではないか、ということで日本との関係を改善する必要があった。
8人死亡と伝えられた。が根拠があるのかと再調査。死亡報告書は家族が受け入れられるものではなかった。北朝鮮は終わったということにした。
北朝鮮の死亡説がなぜ根拠がないのか。
同じ日に同じ人が判子をついた書類になっている。
横田めぐみさんの1993年の死亡についても蓮池さんが一緒にいた時に死亡したことになっている。
78年に拉致された増元さん、結婚して、出張で海に行って心臓麻痺になったということになっている。土葬したと言ってるが遺骨は流されたと言っている。
2002年に遺骨が出てきたがDNA鑑定で否定された。
2004年にどうしようなかったとされる横田めぐみさんの遺骨が見つかったと。
めぐみさんがいなくなってからもめぐみさんの旦那さんと一緒に蓮池さんは暮らしていた。遺骨を持っている形跡はなかった。遺骨が出された経緯が作り話。
洪水に流されたということだが墓は高台にあるので流されることはない。
拉致関係予算の6割は調査に使っている。その中でも力を入れてるのは生存確認。
日本からアメリカに今協力依頼をしているのでいないのにお願いをするわけではない。
拉致問題が解消したら国交が正常化して経済交渉ができる可能性があった。しかし今はミサイルの話もあるから拉致だけで国交が正常化するのか?去年から拉致問題の進展があった。米朝協議が始まったから。
トランプ大統領は選挙が迫っているので実績が欲しい。
今後解決するために中国がポイントになってくる。
拉致問題の残酷さ
人生をめちゃくちゃにされた。
夢を奪われた。家族の絆でいうと会いたいというレベルではない。親は子供が死んでるのか生きてるのかもわからない。
家族の絆も長い期間があったから埋めないといけない。
拉致の目的
情報機関が拉致。国家のための拉致ではなく、情報機関のための拉致。身代わりを探すための拉致もあったがそうではない。
スパイするための拉致。工作員にして派遣してする。そのために各地から拉致された。北朝鮮の話を聞いたら感銘を受けるだろうと過信。
北朝鮮の工作員は現地に入ってもバレるから外国人をそのまま使うことにした。
蓮池さんの拉致された状況と北朝鮮の暮らし
拉致された状況
花火大会の時に。工作員と拉致をサポートする戦闘員数名。
松林のあたりの人がいない方に歩いていたら土手の方から何人か来るのを感じた。反対方向からたばこを吸ってる人が近づいてきた。その人にたばこの火をつけようとした時に後ろから殴られて拉致された。まだ明るい時。戦闘員は語学的にはカタコト。沖合いの工作船に連れて行かれた。
睡眠剤を注射されて清州チョンジンに連れて行かれた。そのあと電車で平壌に。スパイ養成の秘密のアジトに。
なんでこんなことするのか?と聞くとまぁ慌てるな、と。いい国だから一緒に革命の戦士になろう、と。税金がない、教育、医療が無料。彼女は日本に帰らせたと言っていた。(嘘)4ヶ月ほど帰りたいと言っていたらいい加減にしろと。
生きるためには無謀なことをしないでおこうと考えた。
北朝鮮での状況
第一の変化
1年経った時に教育がなくなった。2カ月したら引っ越し、さらに6カ月の時に結婚するか?と言われた。彼女たちがいるからと。彼女と会うことができたが日本語を話すなと言われた。1週間後結婚式を挙げた。
なぜこんなに急変したのか勘ぐった。レバノンで女性の拉致があった。スパイ教育を受けるふりをした。海外での実習の時にレバノン大使館に亡命した。そういうことが海外でも情報が広がった。
あまり厳しくしてもとなって結婚させた。そうするとここで暮らしていくのかな、という気持ちにもなった。スパイ候補に日本語を教える教育係になった。
第二の変化
その教育係もストップした。大韓航空爆破事件。2人はバーレーンで逮捕されて調査された。日本人拉致被害者に日本語を教えられた、と。他にも日本人カップルがいたと。
拉致被害者が語学教えてたら同じことになる。
その後翻訳の仕事をさせられた。
家族について:最初は子供作るなという話だった。その後子供作れとなった。日本語がうますぎると工作員にさせれるかもしれないので日本語は教えなかった。地元の学校にはいくことができず150キロ離れた全寮制の学校に通うことになった。
北朝鮮には家族がいないので日本にいるのではなくもう死んだと伝えた。
第三の変化
社会主義陣営が崩壊し始めた。ソ連と韓国が国交を結んだ。金日成が方向転換を始める。早期国交正常化を目指すと。日本を非難する記事がなくなった。
交渉は難航してとん挫。その時にはじめて拉致問題を提起した。
金日成が亡くなって、銅像の前で泣き崩れる。経済はさらに悪化。大飢饉。200万人がなくなったとも言われている。
98年に国際的な支援もあって持ち直したところで、韓国で金大中が生まれた。南北の友好
アメリカは厳しすぎた。
日本との国交を正常化していくから日本の人と会ってここがいい場所だと言え。拉致ではなく、海で遭難したところ救出されたということにしろと。
はじめて平壌のマンションに引っ越した。
小泉首相が訪朝
そうこうしているうちに当時の総理大臣の小泉首相が訪朝。
金正日が最後に拉致を認めた。
蓮池さんも拉致を認めていいぞという話に。そして日本に。
実感はまだなかったが、飛行機が飛び立つ瞬間実感があった。
子どもがいるから北に帰らないととも思った。
子どものために帰るか、日本に残るか。
半年経っても来るのは子どものビデオレターのみ。
小泉さんが半年後に北朝鮮に行って子どもを連れて帰ってきてくれた。
まとめ
拉致された時、最初は帰りたいと思っていたが結婚してからはここで暮らすしかないか。と思った。けどその中で帰った人もいると。
重要なのは国民の大きな声。声を大きくして動かしていくことが大事。
国交正常化したら拉致被害者がそのうち帰ってるという考えもあるが、北朝鮮は罪悪感がないからしっかりと詰めないとダメ。